子供の頃からずっと不安が消えないという方へ、私の経験とそれを通して至った結論を共有します。
私の場合、この不安感が初めて顔を出したのは小学校へ入学した直後でした。
具体的に何が不安というわけではなく、まるで孤独感にも似た漠然とした不安が付きまとう。
小学校へ行くのが不安で、気が重く登校途中は憂鬱な気持ちで下を向いて歩く。
でも行ってしまえば案外平気。
学校が特別嫌というわけではないのはわかっている。
しかし、なかなか学校へ行くことができない。
理由はよくわからないながらも、毎日ふと顔を出す不安感に苦しみ、当時はそれが普通なことだと思っていました。
不思議なことは、下校途中にも不安になることがありました。
移動が嫌いなのか?そんなことはない。
なんとなく、家から学校、学校から家というようなその時間ごとの居場所が変わることが怖いのかと、子供ながらに分析していた記憶があります。
その後も中学、高校と不安感は続きます。
年々その感情に振り回されなくなり、学校へは行けるようになりましたが、不安感は消えたわけではありませんでした。
その不安感がもたらした弊害は「小規模な環境の変化へのストレス」「新しい挑戦への困難さ」「人とのコミュニケーションの難しさ」「漠然と襲い来る孤独感」でした。
私は趣味でダンスをやっていたため、なんとか周りとの繋がりが維持できましたが、基本的には自分の世界へ深く入っていくような、内向的な性格でした。
ダンスと聞くと社交的なイメージがありますが、実はもっと内向的でオタク気質な側面もあります。
そのおかげでバランスがとれていたともいえます。
問題は大人になってからです。
学業に比べ社会人としての生活は想像を絶するプレッシャーでした。
特に新卒の頃は私自身、妙に気負っており「失敗は許されない」「期待に応えなければ」「大人としてちゃんとしていなければ」「ルールからは絶対に外れてはいけない」など必要以上に心が縛られていた記憶があります。
結果として体や心に不調をきたし、日常生活も困難になりました。
頭のネジがきつく締まり過ぎていた感覚があります。
実はなぜここまで生真面目な状態になってしまったかというと、その原因は家庭環境にあります。
それはコントロールが強く、社会からの逸脱を強く非難される環境でした。
そしてその環境が、この「不安感」にも繋がっていました。
私なりに導き出した答えがあります。
・不安の原因→心の安全基地の欠如。心配という名の人格否定。
です。
「心の安全基地の欠如」。
機能不全家族ではよくありますよね。
簡単に言うと「安心できる帰る場所がない。」ということです。
それは物理的な場合もあるし、精神的な場合もあります。
つまり、味方がいないのです。
助けがないため失敗するわけにはいきません。
必然的に強力なプレッシャーの中で日常を過ごしていくことになります。
オプションで頭のネジはギュンギュンに締めてあります。
「心配という名の人格否定」。
私は「心配」には4つの種類があると思っています。
- 本当に相手を「心配」している
- 自分への悪影響を「心配」している
- 「心配している自分」への自己満足
- 見栄えよく相手をコントロールするための「否定」
①本当に相手を「心配」している
正当な心配は①だけです。
それ以外の心配はクソなので気を付けたほうがいいです。
私もつい相手の気を引くために、心配している風なことを言ってしまうため、強く自制しなければいけないと思うことがよくあります。
正当な「心配」とは決して相手の領域を犯すのではなく、「何からあったらいつでも協力する」という姿勢です。
相手の選択肢を奪ったり、思い通りの方向へ誘導することではありません。
②自分への悪影響を「心配」している
②の人は、口癖のように心配心配と言います。
しかし、その人が心配しているのは相手のことではありません。
自分への被害の有無です。
そのため、基本的に心配と言って引き留める割に、代案や補填を行いません。
③「心配している自分」への自己満足
③の人は自分に酔っているだけです。
この人も口癖のように心配心配と言います。
心配している雰囲気が出れば満足なので、実際に相手が困っている時には現れません。
④見栄えよく相手をコントロールするための「否定」
そして最も質の悪いのが④です。
気遣う振りをして相手の選択肢を否定し、自らの思い通りにコントロールしようとします。
日常的にこれをやられると、その人は「決断」や「行動」に大きな足枷がつきます。
何をするにも気づかぬうちに否定されてきたわけですから。
②③④が複合的に出る人もいますが、こういう人が親になると、よく毒親と呼ばれています。
そして私はこの、
心の安全基地の欠如。心配という名の人格否定。
という環境で育ちました。
おそらくこれが、幼いころから続く『不安感』の正体だと思います。
親に悪気はありません。
それは悪意でも故意でもなく、それまでの人生の根幹たる「思想」として、行動パターンが心にこびりついているからです。
彼らは変われないのではありません。
理解ができないのです。
解決策は「離れる」ことです。
その環境に身を置き続けることは、毒を摂取し続けているのと同じです。
思い切って家を出てみると、身体に少しずつ栄養がいきわたるように、外の世界の自由に慣れていきます。
そしてこの「不安感」は、
昔からずっと自分の中に居座り邪魔ばかりの、この「不安感」は、
「あっても無くても、行動の結果になんら影響を与えていない。」ということに気が付きます。
過去を思い返してみても、実際に行った行動の結果には一切関係無かったはずです。
良くも悪くも、行動の結果は「不安」とは関係なくやって来たはずです。
時には立ち上がれないほど、動けなくなるほどの不安かもしれません。
しかしもし行動を起こしたなら、「不安」は行動の結果に対して一切の影響を与えません。
やるもやらないも自分次第。
「不安」は入り口で邪魔をしているだけで、行動の中身には手が出せません。
やるかやらないか。
これだけです。
やり始めた先に「不安」は意味を成しません。
漠然と感じている不安には一カケラの意味もないのです。
全ての決定権は「不安」ではなく「あなた」にあります。
もし「不安」がやってきても『また来たな』で終了です。
私は家を出て20年近く経ちます。
本当に徐々にですが認識が書き換わっていき、40歳手前にしてようやく自分らしい日々を過ごしています。
もちろん私の例はごく限られたサンプルにすぎませんが、もしどなたかの心当たりとして、参考になりましたら幸いです。
現状を分析し、気づき、変えるためにどうすればいいのか。
本当の意味であなたを救えるのは「あなた」だけです。
誰かに救いを求めることでさえ、最初の一歩は自分からです。
そして家庭環境で悩んできた方、自分のされてきたことを他の人にしてはいけません。
無意識にやってしまいがちですが、絶対にいけません。
近しい人には特に。
私はこれまで「本当に大切なもの」を大切にできずに失敗してきました。
だからあなたも同じ失敗はしないでください。
もし今、目の前に大切なものがあるのなら、その存在に気づいているのなら、絶対に大切にしてください。
私ももう失敗はしません。
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